日曜の昼間。夢の中に吸い込まれたかのように、ゲートを抜けた人々が心の向くままに身体と魂を解放し、波のような音楽に身をまかせ、安心してただ“動いて”いる。
「Body&SOUL」――1996年にニューヨークで生まれたこのパーティーは、単なる音楽フェスでも、クラブカルチャーの延長でもない。魂と身体を同時に開放することで、私たちが無意識に内面化してきた「社会的な制限」を、そっと溶かしてくれる場だ。
Body&SOULには、「性別、セクシュアリティ、人種、年齢、身体的マイノリティなど、あらゆる垣根を超えるパーティー」というステートメントがある。
その言葉どおり、多様性を尊重し、違いを受け入れるだけでなく、年齢も、性別も、職業も、人種も関わらずそれぞれが「自然に共存できる空間」が存在していた。
本記事では、2025年6月8日(日)「Manhattan Portage presents Body&SOUL Live in Japan 2025」での体験をレポートする。
※本記事では、時系列ではなく「空間に流れる価値観・身体感覚のレイヤー」に沿って綴っています。
Manhattan Portage presents Body&SOUL Live in Japan 2025

日程:2025年6月8日(日)
会場:キラナガーデン豊洲(東京都江東区豊洲6-5-27)
Body&SOUL: 公式サイト / Instagram / X / Facebook / TikTok
目次
ニューヨーク発の伝説的パーティー Body&SOULとは
ダンスミュージック史に刻まれたパーティー
Body&SOULは、François K.(フランソワ・ケヴォーキアン)、Danny Krivit(ダニー・クリヴィット)、Joaquin “Joe” Claussell(ホアキン・ジョー・クラーゼル)が主催し、レジデントDJを務める、ニューヨーク発のダンスミュージックパーティー。
初回開催は1996年に遡り、「音楽の素晴らしさを再認識できる場所」として、いまや25年以上の歴史を刻んできた。日本では2002年六本木velfarreにて初開催されて以降、お台場、両国国技館、新木場ageHa、晴海客船ターミナルなど象徴的な場所で開催されている。
レジェンド3人が繋ぐ“Back to Back”の精神
3人の共通点のひとつは、音楽を「心身の解放につなげる手段」として捉えていることだ。
それぞれが音楽シーンのレジェンドとして長年活躍しながらも、お互いをリスペクトし、同時に干渉せず自然に繋ぐBack to Backスタイルで個性を融合させている。開放感のある屋外会場で、ジャンルにとらわれず昼間から夜まで続くDJプレイは、まさに彼らのシグネチャーといえる。
イベントの自称は、“性別、セクシュアリティ、人種、年齢、身体マイノリティなど、あらゆる垣根を超えるパーティー”。その言葉のとおり、多様性・包括性・公平性を重視した空間が、DJ・運営スタッフ・そして参加者の協力によって創り上げられている。

「誰もがいられる」ことが自然な、ひとつの社会のかたち
時間ごとに変化する「世代・年齢」の多様性
Body&SOULの大きな特徴のひとつが、タイムテーブルが存在しないことにある。
9時間にわたってレジデントDJたちがノンストップでプレイするこのパーティーは、いつ来ても心地よい音楽が出迎えてくれる。年齢やライフステージにとらわれることなく、「自分のライフスタイルに合わせた時間に参加できる」自由な空間だ。
開場した12:00の時点では、1人もしくは夫婦や友達同士のように見える40〜50代くらいの来場者が多く、DJブースの前の芝生に自然と散らばり揺れ始める。14:00を過ぎる頃には家族連れの姿も目立つようになり、夕方17:00頃には20〜30代の来場者も増え、世代を超えたエネルギーがフロアに重なっていく。
時間帯ごとに異なる年齢層の来場者が自然に入れ替わり、それにともなって、フロアの雰囲気もゆるやかに変化していく様子が見えた。
家族でも楽しめる「子どもと親」への配慮
「遊びから学び!」をテーマに活動する「SMILEKIDS GROUP」が企画するキッズエリアも設置されており、親子で安心して参加できる工夫もなされている。
小さな子どもを連れての外出が難しい家庭や、ふだんクラブに足を運びにくい親たちにとっても、子どもが飽きずに楽しめ、かつ安心して参加できる環境が整えられているのは大きな魅力だ。年齢を問わず参加できるというBody&SOULの理念が、こうした細やかな配慮にも表れている。
毎年内容の異なるワークショップが企画されているが、今年はフォトフレーム作りやコースター作り。カラフルな作品を手にした子どもたちが、音楽と同じように会場の一部として自然に溶け込んでいる。
「自己表現」が自由にできる場所
性別の偏りも感じられず、むしろ異なる性別や人種の人々が混ざり合ったグループでの来場が多く見受けられる。
ジェンダーという観点で明確な分析は難しいが、ファッションもメイクも髪型も、誰かに合わせるのではなく、「好きな自分でいる」ことが当たり前のように受け入れられている――そんな空気を(個人的には)強く感じられた。
心の自由が導かれる「自分を解放できる空間」とは
「踊っていい」が自然に許される空気
どこにいても、誰もが自然と身体を動かしていることも、Body&SOULにおいて印象的なシーンだ。
ドリンクを待ちながら、誰かと話しながら、何気ないタイミングで「ふと身体が揺れる」といった無意識的な動きが許されているという空気が、会場全体に満ちている。
この「許されている」という感覚は、「社会人」の日常ではなかなか得られることはないだろう。「大人」になるにつれて、“わきまえる”ことを無意識に身につけ、自分の心や行動に知らぬ間に制限をかけてしまっているのかもということに気づかされる。
もちろん踊っている人だけが楽しんでいるわけではない。耳を澄ませて深く座る人、一人で静かに佇む人、誰かと笑顔を交わす人など、多様な「在り方」が混在していても全く違和感がない。
「静かな信頼」DJとフロアの対話
この空間の根底にあるのは、レジデントDJであるFrançois K.、Danny Krivit、Joe Claussellの音楽観だ。
彼らは共通して、音楽を単なる娯楽ではなく、“祈り”や“精神的な対話の手段”として捉えている。その姿勢は、選曲やプレイスタイル、さらには観客との関わり方にも色濃く表れている。
プレイ中には、来場者とDJが視線を交わす、ピースサインをする、心をトントンと叩くといったシーンが見られた。音楽以外の部分でもフロアとの信頼関係が、静かに築かれていたのだろう。
踊り方、身体の使い方、ビートの乗り方……それぞれが、自分なりにこの時間を味わっている。だが、その多様な“魂の動き”を優しく導いていたのは、間違いなく「フロアが信頼する」3人のDJ、そしてArielの照明を通した静かな対話だ。
“自分らしく”の土台は、みんなでつくる「安全性」
「安心安全な空間を参加者全員で作りたいと考えています。」ーーステートメントの中にはこのような一文もある。
運営側がルールでコントロールするのではなく「参加者全員で」という行動喚起が、なんともBody&SOULらしい。
心理的にも、身体的にも危険のない環境があって初めて、魂は本当の意味で自由になれる。だからこそ、Body&SOULはただ踊る場ではなく、来場者一人ひとりが心を解放させ、「自分らしさ」を再確認できる場になっているのだろう。
“ひとり”でいられて、“みんな”と響き合える共鳴の場
個の解放は、「周囲との“共鳴”によって深まっている」と感じさせられるタイミングが何度も訪れた。
日常のなかではつい忘れてしまいがちだが、私たちは他者から影響を受けるだけの存在ではない。「自分も誰かに影響を与えている」ということを、この空間は静かに思い出させてくれる。
誰かが動き出すと、その動きに引き込まれるように周囲が変化し、誰かの笑顔が空間全体の空気をやわらげる。そんなふうに、関係性そのものがこの場をかたちづくっているようだ。
個と個が、干渉しすぎず、孤立もしない。自然に響き合うことで、誰もが「自分に戻れる」状態が、ごく当たり前のように保たれている。
二度と再現できない、“今この瞬間”を生きる
変わり続ける空気を楽しむということ
「再現性のない時間」を楽しみ身体に刻み込むことができるのも、Body&SOULの醍醐味のひとつである。
正午の曇り空と高い湿度が会場を包み込む頃には、深い森を思わせるアンビエントや民族的なドラム・笛の音が、モワッとした空気と心地よく調和し、会場全体に穏やかなリズムが漂う。
14時を過ぎる頃には家族連れの姿が目立ち始めると同時に、雲の合間から日差しが差しこみ気温も上昇していく。少しテンポの早いスティールパンのような軽快な音が心・魂を踊らせる。
15時を迎える頃にはさらに来場者が増え、芝生のフロアは隙間がなくなっていく。波打つ音に合わせて、身体を揺らす人たちの姿がリズムの中に浮かび上がり、一体感が高まっていく。
同じキラナガーデンという場所、同じBody&SOULというパーティーであっても、時間の経過――いや、DJごと、曲ごと、来場者の増加にあわせて、空間の表情はリアルタイムで姿を変えていく。
光と音がつくる「即興」の風景
生楽器や歌を取り入れたプレイ、Arielによるライティングの演出——いずれも、その場の音や動きに呼応する「即興性」が息づいている。
夕方には、赤と青のライトがビートに呼応するように交互に点滅し、来場者の顔を照らす黄色い光が加わる。日が落ちていくのとは対照的に、フロアは熱を帯びていき、弾けるようなライトのなかに、嬉しそうな表情が浮かびあがる。
20時を過ぎ、会場はクライマックスへ。赤・緑・青のライトが交錯し、DJブース前には隙間のなく人々が集まり、その熱気が波のようにうねりとなって広がっている。
音楽や光が心の動きに反応しているのか、それとも心が音や光に反映されているのか。おそらく、その両方が同時に起こっている。予定調和ではなく、その場の空気、来場者の状態、天候のようなあらゆる要素が共鳴し合うことで、唯一無二の“瞬間”が確かに生まれていた。
Body&SOULは「私たちの望む社会」
Body&SOULの空間で体験したのは、ただの音楽イベントではなかった。それはまるで、私たちが「こうありたい」と願う社会そのもの。
好きなタイミングで踊り、裸足で芝生に立ち、誰かと手を取り合ったり、一人でその波を見つめている。レッテルもカテゴライズもなく、ただ「存在」している人々の姿があった。
約9時間にわたるこのパーティーの中で、「明日」や「未来」、「目標」という時間軸は一旦脇に置き、「今、この瞬間」の空気を全身で浴びながら、それぞれが魂を震わせていた。
その自由さを見たからか、この地球における「制限」とは何かを改めて考えさせられる。
・年齢、性別、国籍、人種、言語
・誰かの視線、同調圧力
・羞恥心、負い目
気づかぬうちに自分の中にあった「制限」や「境界線」、「マジョリティとマイノリティ」という概念。それらが、音とともにゆっくりと溶け出し、本来の自分に戻っていくような感覚。
もし、日常に少しでも窮屈さを感じているなら。この空間に身を置くことで、「あなたにとっての答え」が見つかるかもしれない。Body&SOULに、あなたも足を運んでみては?